「専攻科」と「2級海技士」

宮城県水産高等学校 教諭 尾形文男

 本校、航海技術類型、機関工学類型では、所定の単位を取得することで、卒業と同時に5級海技士試験の筆記試験が免除されるようになります。船の運転免許とも言える海技資格は、筆記試験に合格した後、定められた乗船履歴を蓄え、その後、口述試験に合格することで取得できます。本校を卒業することは、5級海技士取得への最短コースです。この資格を持っていると、200トン未満の船で、遠洋では一等航海士、近海なら船長になることができます。また、3年生の選択科目には4級取得のための授業があり、そこで勉強して、在学中に4級(学科のみ)を取得する生徒も毎年数名います。これなら、遠洋でも200トン未満の船で船長になることが可能です。
しかし、もっと大きな船で働きたい、という場合は、より上級の海技士免許が必要になります。船が大きいということは、漁船なら獲る魚の量も多くなりますし、商船なら輸送できる量が多くなりますから、それだけ責任が大きくなるということです。そして、それに比例するように給料も高くなります。

 より上級の海技士免許を取得するには次のような方法があります。①働きながら独学で勉強する、②勤務している会社に援助してもらい、何ヶ月間か専門校に通う、③海技士を養成する短大や大学に進学する、④水産高校の「専攻科」に進学する、などです。

 ここでみなさんに紹介したいのは、④です。専攻科とは高校内部に設置された、学習を深めるために進学する2年課程の教育機関です。意外と知られていないのですが、「専攻科」は本校にも設置されており、“航海”と“機関”の2コースがあります。本校の専攻科は昭和31年に設立されました。いわゆるマッカーサーラインの撤廃によって、政治的に遠洋航海が可能になり、大型船が急増しました。そこで大型船を動かせる船乗りが圧倒的に不足したため、半ば国策で、海技士の早期養成機関として全国の水産高校に専攻科が設置されたのです。したがって、専攻科の目標は、「より上級の免許を取得する」という実用的なものとなります。専攻科生は、1年次に年間を通して「宮城丸」による遠洋航海実習に参加し、乗船履歴を蓄えるので、筆記試験合格だけではなく、口述試験を経て、就職までに実際の免許取得が実現するのも大きな強味です。

 本校の専攻科では、基本的に3級海技士取得を目指しています。3級海技士は遠洋で500トン、近海で5000トン未満の船に、船長として乗船することができます。しかし、更に努力をして、2級海技士の資格を取ろうとする生徒もいます。

 3級航海士の筆記試験は、大概の専攻科生が合格できますが、2級の取得はそうはいきません。それは合格率に表れています。3級の合格率が約31%であるのに対し、2級は17%に過ぎません。それほど、船乗りにとって2級取得は“難関”であり、“壁”なのです。

 そんな中、昨年度の専攻科・航海コースでは、3名の生徒が2級海技士の筆記試験に合格しました!これは、実に17年ぶりの快挙です。2級海技士になれば、遠洋でも5000トンまでの船で船長になれる上、すべての大型船で船長になることができる「1級」が見えてきます。

 学生のうちに、2級海技士を取得し、「順風満帆」な人生を送りませんか?

Anchor!

2014.12.19
情報科学科 若松 英治

“Anchor(アンカー)”とは、いわゆる“錨(いかり)”のことです。本校の校章は、この“錨”をモチーフにデザインされており、このデザインは一般的に「錨章(写真1参照)」と呼ばれています。本校の文化祭を「錨章祭」と銘打っているのは、これにちなんでいます。

図1.jpg  さて、みなさんはこのアンカーが、なぜ必要なのかご存じでしょうか。
それは主に、海上に停泊する際に船が流されないようにするためで、台風による暴風・時化などで航行を回避する場合に活躍します。特に台風の中では、船が横風にあおられると倒れて転覆する可能性があり、強い波や速い潮の流れによって船が予期しない方向に進んでしまいます。それを防ぐためにアンカーが生まれたわけですが、一説によれば、なんと7000年前からアンカーが用いられてきたと言われています。このことは紀元前5000年頃に描かれたと思われる“エジプトの壁画にアンカーが描かれている”ことから明らかになっています。また、昔は港の規模が小さかったため、大型船は港に入って着岸することができませんでしたので、港へは小型船に乗り換えて上陸していました(時代劇でよく見られる光景です)。このとき、“船が勝手に進み出さないよう沖に停泊させる”ことになりますので、やはりアンカーが必要になってきます。

 写真2のアンカーは、現代では主に小型船で用いられる「ストックアンカー」と呼ばれるものです。これは錨章のモチーフになっているだけに、平たいイメージをもってしまいがちですが、実際は平たくはなく、海底に引っかける部分(下のツルハシのような部分)に対して、ストック(上の棒部分)が垂直(十字)につけられているのです。アンカーを投下し、走って引っ張ってやるとストックが海底に対して水平になることでアンカーが海底に引っかかるため、そこでアンカーを固定させることができます。
 しかし、ストックアンカーには大きな問題点があります。それは、“立体的”な構造をしている分、収納すると船に出っ張りが生じてしまいます。この出っ張りに強い波が当たると、波しぶきがマストの上まで吹き上が上がり、たとえ鎖によって紛失を免れたとしてもアンカーが変形するほどの衝撃を受けてしまいます。ですから遠洋航海中、荒れる海上を航海することもある大型船では、ストックアンカーは“不向き”と言えます。
 そこで、“ストックレスアンカー(写真3参照)”の登場です。その名の通りストックがないため、船に対して“面”で収納できます。このためストックアンカーほど出っ張りが生じることはなく、構造上、強い波を受けたとしても衝撃を逃がすことができます。ですから大型船では、ストックレスアンカーを用いるのが一般的です。我らが実習船、宮城丸(650トン)でも、船首に“ストックレスアンカー(重量約1トン)”が、左右に2本装備されています(写真4参照)。
 では、650トンの船を1トンのアンカーを降ろすだけで、言い換えれば、アンカーの重みだけで船を固定(停泊)させられるでしょうか?答えは「No」です。アンカーの自重だけでは把駐力(船を係留させる力)は足りません。これを解決する鍵は、アンカーと船をつなぐ“鎖”なのです!
「アンカーを投下して海底に着いたら終わり」ではなく、「水深に対して3~5倍の長さの鎖も同時に投下」していきます(みやぎ丸の場合、全長約150mの鎖を搭載)。すると、投下した鎖の大半は海底に留まることになります。実はこの鎖の重さが船を係留する力となるのです!アンカーと鎖によって、船は、波や風を受けると、アンカーを中心に円運動をして、その外力を“いなす”のです。
鎖と錨.jpg
 7000年の歴史をもつアンカーは時代と共に様々に変化してきましたが、今なお完璧だと思われる形が確立されておらず、進化し続けています。その中で日本で開発され、実用化されているアンカーは、ほとんどありません。もちろん、本校の航海技術類型や機関工学類型では、アンカーについて学ぶことができます。新たなアンカーの形を想像し、創り出すことができれば、あなたも、日本はおろか世界における“アンカーの歴史に名を刻む”ことができる!・・・かもしれない。

マグロがたべられなくなる? 

宮城県水産高等学校 教 諭 阿部 仁 

今夏、私はマグロ養殖で成果を挙げてきた和歌山県にある近畿大学へ視察に行ってきました。本校、生物環境類型において今後の学習指導のために、養殖施設や技術、大学がもつ理念などを参考にしたいと考えたからです。

さて、そのマグロですが、現在、地中海や大西洋で“マグロが激減”し、世界的に見て「絶滅するのではないか」と危惧されています。絶滅が危惧される種の取引を規制する“ワシントン条約”により、近い将来マグロの漁獲が制限(最悪禁止)される可能性が出てきています。そうなれば、マグロは今以上に高価になり、気軽に食べられなくなる恐れがあります。

「じゃあ“養殖”すれば良いではないか」と言いたいところですが、そう簡単なものではありません。
養殖が難しい第一の理由は“大規模な養殖施設が必要になる”ということです。時速100km近くで泳ぐ体長2mにおよぶマグロのために“大規模な回遊コース”を造らなければならなりません。
第二に、採算をとることの難しさです。“マグロの体重を1kg増やすために、10kg以上の餌を必要とする”ため、マグロを育てたとしても、あまりに高価であれば、なかなか売ることができません。
 第三に、従来のマグロの養殖は“増やすことを目的としていない”点です。これは“マグロの幼魚を捕獲して育てて売る”という手法であり、つまり、これでは“幼魚を捕りすぎると将来親になるマグロが減るため、天然資源としてのマグロが減る”という問題が生じます。

しかし!そんなマグロ事情を一変させる「革新」が日本で起こります。2002年、世界中の誰にもできなかった“世界初のクロマグロの完全養殖”を近畿大学水産研究所が成功させました。1970年から、実に32年の歳月をかけて手にした快挙でした。
この完全養殖とは“第一段階として、天然のマグロの幼魚を捕獲し、成体まで育て、卵を産ませる。第二段階として、産ませた卵を人工孵化させて成体まで育てる。第三段階として、養殖施設で生まれ、成体まで育てたマグロに卵を産ませる”というもので、半永久的ルーティーンを確立したことを意味しています。マグロの養殖が難しいとされてきた理由であった、“採算性”については、2008年に“生き餌しか食べない”とされていたクロマグロ用配合飼料の開発に成功し、餌にかかるコストを抑えることができるようになり、生産性(成体まで育つ数)を高めることでも、コストの問題は解消(軽減)されます。そして何より、完全養殖によって生産性を上げれば、海に生息している天然マグロを減らすことなく、安定的にマグロを提供することができるようになるのです。

32年をかけマグロの完全養殖を実現させるまでには、実に多くの困難がありました。マグロの幼魚は“人が手で掴むと指の跡から腐ってくる(指から伝わる熱で火傷する)”ほど皮膚が弱いことに加え、水中の酸素不足での弱さ、台風被害などで全滅を繰り返し、幼魚を捕獲して成体に育て上げるまで9年を要しました。その間、捕獲して育てていたマグロが産卵し、卵を孵化させることができたものの、とても体が弱く、10年以上産卵がなかったこともあったそうです。

再びマグロが産卵し、孵化させて稚魚となった頃に共食いが発生しました。何千といる稚魚の大きさを選別するという気の遠くなるような仕分け作業で共食いを回避し、6cmほどの大きさに成長した稚魚を海上のいけすに移しました。ところが、夜になると、光に敏感な稚魚は、夜間に海岸を走る車のライトに驚き、いけすの囲いに激突して多くの稚魚が死んでしまうという問題が発生しました。シートで光を防ぎ、衝突死を減らすためにいけすを改良することで、ようやく一連の流れに見通しがつきました。そして、1997年、世界で初めて“完全人工生産によってマグロを成魚まで育てる”ことに成功しました。

 本校、生物環境類型では、これまでウニやアワビ、クロソイなどを人工孵化させ、飼育して海や河に放流する事業、県内ナマコが激減した際には、これを解決するナマコの研究成果を公開するなど、地域貢献を積み重ねてきました。同類型では、現在、チョウザメやクロソイ、ウニやナマコなど様々な魚貝類を飼育しています。宮水で“生物や自然”を相手に学び、研究を進め、水産業界で「革新」を起こしませんか?

参考:月刊宝島「養殖マグロ産業化へ!32年の歳月をかけた感動の研究秘話」
   SONY WEEKLY MAGAZINE「話題の“近大マグロ”から見る、大学と社会の新しい繋がり」

食べ合わせの妙

宮城県水産高校 教諭 佐藤 和孝

 「食べ合わせ」とは、一食あたりの食材の取り合わせのことを言います。これには良し悪しがあり、特に、“相性が良くないから一緒に食べない方が良いとされる食べ物の取り合わせ”のことを“合食禁(がっしょくきん)”と言われてきました。合食禁は、とても昔から言い伝えられているもので、奈良時代には、天皇に出す食事に食べ合わせが悪いとされるものを出した場合には、責任者は3年間入獄の上、強制的な労役を課せられることになっていました。例えば“蟹と柿”は、共に“体を冷やす食材”であると伝えられ、取り合わせが悪いとされる蟹と柿をうっかり同じ食事のメニューに入れてしまったものなら、罰せられるということです。ちなみに蟹と柿の食べ合わせについては、科学的検証の結果、それが正しい認識であることが確認されています。

 食品にはそれぞれ“多く摂取できる栄養素”と“あまり摂取できない栄養素”があり、そこには“相性”があります。うまく組み合わせれば相乗効果により、それぞれが元々持っている力以上の効果を得られますが、逆に相性の悪い組み合わせの場合、消化不良などを招く恐れもあり、体に悪影響を及ぼします。ここで「食べ合わせ」について話を進める前に“各食品のタイプと長所と短所”を紹介します。

 野菜類は、各種ビタミン類や食物繊維などが含まれています。その一方で他の食品に比べ、他の栄養素に働きかけて体の生理機能を調整する、ミネラル類の含有量が少ないという一面があります。
海藻類は、食物繊維に加え、カルシウム、カリウム、マグネシウム、鉄、亜鉛などのミネラルが豊富ですが、主食やエネルギーになりません。
肉類は、高タンパク・高エネルギーで、必須アミノ酸が多く、ビタミンAやビタミンB群、鉄分も含まれています。特にレバーはビタミン・ミネラルが豊富です。しかし、ビタミンCや食物繊維がほとんど含まれておらず、食べ過ぎると高脂肪、高コレステロールになってしまいます。

 我らが本命の魚類は、必須アミノ酸をバランスよく含んだ良質のタンパク質を豊富に含み、イワシやサンマ、力ツオ等の背の青い魚には、肉類にはないEPA(血液の流れを良くする)やDHA(脳を活性化する)などの健康素材が含まれています。まさに健康的な食材ですが、ビタミンAやビタミンC、食物繊維がほとんど含まれておりません。
このように、それぞれの食材には“長所と短所”があるために、様々な食材を組み合わせ、お互いに足りない部分を補うようにすることが大切になってきます。例えば、主菜が肉である時、肉ばかりではビタミンCが不足するために果物を添えるとか、海藻サラダを付けて食物繊維をとるようにすればどうでしょう?「バランスの良い食事」とは、まさにこのことを指しています。

 これらのことを踏まえた上で、お待ちかね“食品の具体的な組み合わせ”を紹介したいと思います!
「風邪や感染症の予防」には、ほうれん草とレモンの組み合わせです。この組み合わせにより、体力と体内の免疫システムが強化されます。これは、ほうれん草に含まれる鉄分がビタミンCと一緒に摂取すると体に吸収されやすくなるためです。ビタミンCと一緒に摂取する鉄分は肉や魚に含まれる鉄分と同等の栄養価があります。また、ビタミンCと、鼻やのどの粘膜を守る効果のあるムチンを一緒に摂ることで免疫力が上がり、風邪や感染症などの予防に期待ができます。ムチンは納豆やオクラなどのネバネバした食材に多く含まれています。

 「冷え性改善」には、サトイモなどの根菜類と生姜です。根菜類は東洋医学の食事療法では体を温めるといわれ、発汗作用のある生姜を加えるとポカポカ効果がアップします。
「美白効果とアンチエイジング」には、大根と白菜。大根はビタミンCをたっぷり含んでいるため、メラニン色素を合成する働きを抑制します。白菜は水分の排出に効果があるため大根の働きを更に補います。また、抗酸化作用のあるニンジンのβ6カロテンに、美容効果が期待できるレンコンのビタミンC、オリーブオイルのビタミンEをプラスした組み合わせは、アンチエイジング効果があると言えます。

 「脂肪燃焼」には、トマト。ビタミンEの100倍以上の抗酸化作用があるリコピンが豊富で、リコピンは脂肪と一緒に摂取するとより吸収がよくなるので、"森のバター"と呼ばれるアボカドとの相性はバツグン。成人病予防の予防にもがん予防も期待できます。
「がん予防」には、葉酸や鉄分、ビタミンCが豊富な、ほうれん草。免疫細胞を活性化、ガン細胞の増殖を抑える働きがあります。そこに、発がん性物質を解毒する働きが期待できる、ジアスターゼ、カタラーゼなどを含む大根を合わせることで、胃がん予防効果が期待できます。また、抗ガン食品の代表とも言えるリコピンが豊富なトマトとブロッコリーの組み合わせは、ねずみによる実験で、それぞれを単独で食べるよりも、組み合わせて食べる方が、より腫瘍が小さくなる効果が大きかったそうです。

 人間は食材や素材の“大切な命”を頂きます。せっかく頂く命ですので、組み合わせを考えて、効率よく栄養を摂取できるような食事をしたいものです。もちろん、宮城県水産高校・調理類型で、食材について学べば、食材の特長を細かく知ることもできますし、それを踏まえた上で食材を相性が良くなるように自由に組み合わせられるようになります!宮水で、この“わくわく”を体験しませんか!?

参考:ニプロ株式会社「食生活をより豊かに 食べ合わせを考える」


風邪をひく野菜 ~野菜の体調管理~

                       宮城県水産高校 調理類型 佐藤和孝

 調理業界では、食品の状態を悪化させることを「風邪をひかせる」と言います。例えば魚であれば、鱗を取る時に皮に傷を付けてしまい身の部分を露出させてしまうこと、野菜では冷蔵庫内の温度を低くしすぎて栄養素を壊してしまう、または腐らせてしまうといったことを言います。今回は特に「野菜の温度管理」として、野菜の鮮度を保つ適温と栄養素を減少させない保存の仕方をこっそり教えます。

 野菜や果物の中で、冷蔵庫に入れないほうが良いのは“バナナとさつまいも”だけで、その他の野菜・果物は真夏の高温多湿の条件下では鮮度がみるみる落ちるので、野菜室に入れた方が無難です。そこで、野菜を適切に管理する上での基本的な考え方として「原産地がどこであるか」が重要になってきます。北国(または山岳地帯)原産の野菜は低温で保管し、南国原産の野菜は高めの温度で保管することが鉄則です。それぞれの野菜の適温はおおむね次のようになっています。

  2℃ 青梗菜・ねぎ・カリフラワー・モロヘイヤ・わさび・枝豆 等  
  5℃ じゃがいも・メロン・ふき 等 (7℃くらいまでが低温の目安)
  8℃ 里芋・さやいんげん 等
 10℃ なす・きゅうり・かぼちゃ・すいか・おくら・ピーマン 等

 冷蔵庫の野菜室の温度はどこのメーカーでも大体“3~7℃の温度帯”に設定されています。しかしながら、それぞれの野菜に対する適温はまちまちですので、実はこの温度帯は、どの野菜にもほどほどの効果がある「妥協点の温度」なのです。そうすると“3~7℃の温度帯”に対して、特に、夏野菜である「なす」「ピーマン」「きゅうり」は、やはり冷えすぎて風邪をひいてしまいます(これらは“風邪をひきやすい野菜の代表格”)。特に、なすは風に当たるとわずか2日で重量が6~7%減ってしなびてしまいます。“風味”も激減し、もともと少ないビタミン類も取るに足りない数値になってしまいます。そのため、こういう場合は野菜の気持ちを考えて、“寒いときは、厚着”をさせるように、冷えすぎる場合は野菜をポリエチレン袋に入れたり、新聞紙に包んだり立てて保管するといった工夫が必要になるのです。また、野菜でも果物でもない食物である「きのこ」はどうかと言いますと、例えば、しいたけの場合は5℃で5時間の冷蔵庫保存で最も“うま味”が増すというデータもあります。

 宮城県水産高校・調理類型では、この野菜や果物の適温を踏まえ、“様々な保存の工夫や管理方法”を学ぶことができます。何かを専門的に学ぶということは「普段は考えもしないことを突き詰めて考え、実践する」ことに繋がります。「学んだことを家に帰ってからも活かせる」ことは、調理類型の大きな特長です。調理類型で学んで、「家庭の野菜博士」になりませんか?

日本料理の命! かつお出汁(だし)』

宮城県水産高校 教諭 佐藤和孝

“出汁”の歴史は縄文時代までさかのぼります。この時代の土器の発展から、やがて“魚や肉を煮て食べる”ようになり、その煮汁に“うま味”が溶け出していることに気付き、それを利用したのが“出汁”のはじまりです。さらには古事記にも記載が見られます。古事記に登場する“かつお”は「神様」へのお供え物とされ、その存在は実に「尊い」ものだったそうです。

当然、世界各地で“出汁”が発見され、現在でも世界中の料理に欠かせないものとなっています。例えばフランスでは“ブイヨン”と言われる“野菜出汁”、中国では“白湯(パイタン)”と言われる“豚骨出汁”が有名で、日本でも、かつお、昆布、椎茸、大豆・・・とたくさんの出汁があります。中でも代表的な出汁が“かつお出汁”です。このかつお節を食する文化を持つ国は、世界ではなんと“日本とモルディブ”の2カ国だけです。

かつお節は、江戸時代初頭に紀州(和歌山県)で今日に近いものが開発され、土佐(高知県)・薩摩(鹿児島県)などから海上輸送で江戸をはじめ全国各地に運ばれるようになり、江戸の“そば文化”、関西の“うどん文化”が開花し、全国各地にも煮物などのベースとして出汁が広がりました。

「かつお節」を作るには、まず生のかつおの頭や内蔵を取り除き、1時間ほど煮て煮えたかつおを何度もけむりでいぶしていくと次第に水分が抜けて堅くなります。これを「荒節」といいます。この荒節を削ったものが「かつお削り節」と言い、20日程度で完成します。味は、あっさりしているので、関西のうどんなどに良く使われています。また、荒節にさらに優良種のカビを付けて陽に干すという工程を繰り返したものを「枯れ節」といい、この枯れ節を削ったものが「かつおぶし削り節」といいます。実は、このカビがいぶされてできた刺激臭や魚の生臭さを和らげ風味を増す働きをします。これは完成までに、なんと“半年以上”を要しますが、その分だけ高価で、味に“コク”があり、おそばやお吸い物などに使われます。このように、かつお節にも種類があり、料理によって使い分けもされています。

時代が進み、“うま味調味料”が開発されて以来、一般家庭では昆布やかつお節で“出汁”を取ることが少なくなりました。わざわざ、かつお節を削ることをしなくても手軽においしく料理することができるようになったからです。

 手軽に出汁のきいた料理ができるようになった反面、私たちは「本来の出汁の味」を忘れてしまっているのではないでしょうか?!もしも、あなたが「自分で質の良いかつお節を取り寄せ、自ら削って“出汁”を取る」ことができるとしたら、あなたの家庭は、「本当に豊かな食生活」を送ることができるでしょう。

もちろん本校、調理類型では、様々な食材から“出汁のとり方”を学びます。自宅で「“豊かな食生活”と“本来の出汁の味”」を味わってみませんか?



答えのない課題

2014.07.01更新
情報科学科長 若松 英治

 例えば「温暖化問題に対してあなたの意見を述べよ」といった「答えのない課題に挑むこと」や「自分の意見を述べること」に対し、私たち日本人の多くはとても“苦手意識”をもっています。それは、“そういうことを多く学ぶ機会に恵まれなかったから”かもしれませんが、いずれにせよ、新しい何かを創造する、自分の意見を的確に表現して討論する、などといったことは極力避ける傾向にあります。

 ところで、例えば新しいゲーム機や美味しい缶詰を開発した結果、自信を持って「良い商品です」と言えるものが必ず売れる商品となるでしょうか!?答えは「No」です。なぜなら、どんな良い商品であっても、その存在やメリットなどが買い手に伝わらなければ、売れるとは限らないからです。今は“つくれば売れる時代”ではなく、“自ら打って出なければ生き残れない時代”です。ですから、商品を売るために、品の良さを知り(商品理解)、他の品とどう違うのか(差別化)、それをどう魅力的に相手に伝えるか(プレゼンテーション)が重要となります。その進め方に正解はありません。研究・ものづくり・商品開発・販売…と、何にせよ社会に出ればアイデアや自分の意見を出し、さらにそれを“形”にすることを求められます。そこに「これが正解」という明確な答えのある仕事などありません。明確な答えのないものを避けているわけにはいかないのです。

 本校、食品科学類型では、2・3年生で週2時間ずつ「課題研究」という授業があります。この課題研究は中学校の「総合的な学習の時間」と同じく、“学んだことをフル活用して課題を解決する”という目的の授業です。その課題研究は、平成23年の東日本大震災を境に“大きく変化”しました。
震災により仮設校舎での学習がスタートし、仮設校舎の施設や被災したままの本校舎の実習施設では、これまでのように缶詰の製造はできず、課題研究もできることが限られてしまったからです。同年5月に新年度がスタートするも、食品科学類型の生徒は“実習もままならない状況”において「課題研究なんてできない、この状況で何をすれば良いんだ!?」と意気消沈していました。そこで食品科学類型では「アイデアで活路を!」をテーマに、“紙と鉛筆”さえあればできる学習を展開しました。「石巻を復興させるには!?」、「石巻でとれる食材で何かつくれないか!?」、「捨てられるものを利用して新しい商品をつくり出せないか!?」など、様々な「答えのない課題」をテーマに、個人で考え、グループで討論し、その意見をクラス全体に投げかけ“ディスカッション”するといった学習を繰り返し行いました。この学習から“何に対しても、とにかく考えてみること”や“自分の意見を出すこと”が次第に習慣化していきました。また、愛媛県立宇和島水産高校との共同企画として“ぶり大根の缶詰”のラベルデザインなどを手がけながら「どうすればこの缶詰の“商品価値”を高められるか(=付加価値)」を学びました。この震災前にはない“新たな学習”が、生徒たちの意識の高まりと成長を促しました。

 さらに震災後、課題研究を“教員主導”から“生徒主導”に切り替えることで、「研究テーマを生徒が自ら考え、自分で行動する」という方針に変わり、「自分でテーマを考え、自ら調べ、実験し、問題が発生すれば、解決策を模索する」ことを通して、研究に対する意識を高め成長することができました。自ら行動したことは記憶に強く残るものです。生徒たちは文化祭や学会において、研究成果を発表する際、原稿などなくても堂々と丁寧で分かりやすいプレゼンテーションができるようになり、そういう成功体験から、課題研究にますます張り切って取り組むようになりました。

 食品科学類型の流れをくむフードビジネス類型では、「答えのない課題」を食の力で解決するスキルを身につけるための学習を展開します。学生のうちにこのような経験をするのは、“大きな財産”となるのではないでしょうか。


アイディアの価値

情報科学科長 若松英治

 ちょっとした“アイデア”が物事を劇的に変える― そんな言葉を耳にしたことがあると思います。
例えばある商品を開発したとします。これを売れるようにするにはどのような方法があるでしょう?より美味しくする、長持ちさせる、安くする、デザインを変える・・・など、様々な方法が考えられます。また、商売をする上で不可欠なものとして「誰を対象として売るか」、「購買意欲をかきたてられる何かを持っているか」、「買ってくれる人のニーズ(求めるもの)に合っているか」も重要なポイントです。これらを踏まえ、企業では“売れる商品”をつくるために色々な工夫を凝らしています。

 ここでその一例として、島根県平田市(現出雲市)の“岡伊三郎商店”を紹介したいと思います。
岡伊三郎商店は人口3万人の小さな街の酒屋さんです。社長の岡和正氏は、1988年に家業を継ぐと、どこの酒屋もやっている“配達中心の営業方針”に疑問を持つようになりました。そこで1993年(平成5年)に市内初の郊外型店舗を出店し、車で来客してもらうことで少人数でも対応できる体制を整えると、多くの来客があり繁盛しました。しかし、やがて同じような経営方針の店やコンビニの出現により、2000年(平成12年)ごろから売上に陰りが見えてきました。そんな中、新たな方針として、親類が作っている“黒豆の薄甘納豆”の販売で酒屋の売上を補おうと考えました。

 「どうしたら甘納豆を売れる商品にするか」を考えたとき、浮かんできたのは“ネーミング”でした。甘納豆を食べながら雑談する中、知人が言った「“ゴリラの鼻くそ”みたいだな」という発言に、即座に反応し、「“ゴリラの鼻くそ”と名付け、ユーモア商品として動物園でおみやげとして売る」ことを瞬時に構想しました。もちろん、食べるものに対して“鼻くそ”と付けるのは“非常識”です。当然、このネーミングは周囲の猛反対もありましたが、「新しいことやまだ誰もやったことがないことをやる」という信条を持つ社長の決断は揺るぎませんでした。2001年に発売開始までこぎつけ、北海道から鹿児島まで全国の動物園に直接自分の足で売り込んだところ、“ゴリラの鼻くそ”というギリギリのユーモアネーミングが功を奏し、あっという間に全国の動物園売店に広がり人気No.1商品となりました。
この成功の要因と考えられるのが、「ネーミング(インパクトやユーモアの重要性)」と「販売対象者を限定した(動物園という限られた場所で“おみやげ”として販売する)」という2点です。「鋭い着眼点と豊かな発想力がもたらした成功」と言えるでしょう。

 さて、本校のフードビジネス類型では、岡伊三郎商店のような例をいくつも紹介しながら、商品の“ネーミング”や“デザイン”の重要性を学び、「豊かな発想力を身につける」ための授業も行っています。
被災した平成23年は缶詰の製造も販売もできず、「何も売るものがない」と意気消沈していました。しかし、当時の3年生が一念発起し「このままではいられない!仮設校舎で、与えられた状況で、何ができるか!?」と考え、その結果、「営業許可を取って“干物”を売る!」という目標が生まれました。

 営業許可が下り、干物をつくって、いざ売ろう!としたとき「干物がそれほど売れるだろうか?」という不安がよぎりました。そこで、彼らは当時仮設校舎があった石巻北高校でも本校と同じ日に文化祭が開催されることから、農業コースのある北高の農産物を買うために北高生の母親や、多くの近隣住民が集まるであろうと予測し、干物の販売ターゲットを主婦層(マダム)に設定しました。そして、当時主婦層に人気を誇っていた韓流ドラマの人気にあやかり、干物を「干流☆スター」と名付け、販売しました。この結果、なんと300パックも用意していた干物はすぐに完売してしまいました。
このことから生徒たちは「“つくって終わり”ではなく、その後“売る”ためにどうしたらいいか!?」を考え、それを自分たちの「アイデア」で乗り切ることで、「同じ商品を売るにしてもアイデアひとつで売れ行きが劇的に変化する」ことを実感しました。
今年度は、被災以来、使用できなくなっていた「缶詰製造工場」のリニューアルが完了し、いよいよ「缶詰製造」が復活します!より良いアイデアを出し、アイデアによって売れる商品をプロデュースできる“人財”を育てるため、フードビジネス類型は「発想力を高める授業」を展開していきます!

ヒジキ感激

食品科学類型長 油谷 弘毅

 煮物の王様、ヒジキ。食物繊維と鉄分が豊富に含まれており、日本人の健康にも一役買っている海藻です。なんと1万年前の貝塚からもヒジキが発見されているそうです。
そんなヒジキ。実は海に生えているときは緑色です。茹でるともっと緑。これは、過日、調理研究部の活動で紹介しました。
 では、よく見る「ヒジキ」はなぜ黒いのでしょう。ここでちょっと説明します。
 ヒジキはワカメやコンブと同じ褐藻類の海藻です。褐藻類はフコキサンチンという橙色の色素を持っています。これが、茹でられることで藻体から溶け出し、緑色色素ののクロロフィルが目立ってきます。このため、茹でると「もっと緑」になるのです。このクロロフィルはしばらくすると分解され、黒に近い色になってしまいます。浜辺に打ち上げられてひからびたヒジキが黒っぽく見えるのはこのためです。
 また、ヒジキにはタンニンと呼ばれる渋み成分が含まれています。そのまま食べると、渋みを感じることがあるのはこのためです。ヒジキはタンニンを除くため採取された後、長時間煮られます。
 タンニンは空気と触れると酸化して黒色になります。茹でた後に残ったタンニンが酸化されて黒くなる、これがヒジキが黒い理由です。
さらに、ヒジキを煮ている鍋の中では、鍋から溶け出た鉄とヒジキから溶け出たタンニンが反応してタンニン鉄という黒色の物質になります。このタンニン鉄が茹でたヒジキに付着して「もっと黒」になるのです。
現在、多くの鍋は軽く加工しやすい鉄以外の金属で製造されています。ですから、ヒジキを茹でる工程ではわざわざ鉄を加えて茹でています。
ヒジキはもともと鉄分が多い海藻です。鉄と煮ることでさらに鉄分が増しています。この鉄分は非ヘム鉄といって体内に吸収されにくい形の鉄分です。非ヘム鉄は植物性タンパク質と合わせることで吸収率が上がるそうです。
 そういわれてみると、ヒジキは大豆や油あげと煮物になっています。鉄分を効率よく吸収するために、ヒジキの煮物は合理的な食べ方ですね。
 身近にある食材にも科学が隠れています。そう思うと、伝統食品もまだまだ不思議が隠れているかもしれません。そんな不思議に出会えたら感激ですよね。

参考:國村圭子ら、煮ヒジキの食文化的考察-カルシウムと鉄- 、広島文化女子短期大学紀要 30, 55-60, 1997-09-30

History of Can!

2015.05.15更新!
情報科学科長 若松英治

「缶詰」の誕生は、ナポレオンと深いかかわりがあります。1792年の王政廃止以来、ナポレオンは各地の戦いで指揮をとり、フランス軍を勝利に導きました。そんな中、当時の食物貯蔵は「塩蔵、薫製、酢漬け」で、味が悪いだけでなく腐敗も多かったため外国遠征で戦闘を維持するには、兵士のために“栄養豊富”で“新鮮”、何よりも“美味しい”食料を大量に確保することが不可欠となりました。そこで、これらの問題を解決する新しい食料貯蔵法を賞金つきで公募したところ、1804年ニコラ・アペールがガラスびんの中に食物を入れ、密封し、加熱殺菌して保存する新食糧貯蔵法を発明しました。これは「口の広いガラスびんに調理しておいた食品を詰める→コルク栓をゆるくはめる→湯せん鍋に入れ沸騰点で30~60分加熱→びんの中の空気を駆除した後にコルク栓で密封する」というもので、“びん詰”としてスタートしましたが、この発明は、今日の缶詰の基本原理となっています。
この当時、海軍では、多くの海兵たちが“壊血病”に悩まされていました。この“壊血病”は航海中、新鮮な野菜や果物の摂取不足からビタミンCの欠乏によって生じる病気でした。ですから、アペールのびん詰めは、海軍にとって最大の悩みの種であった壊血病防止に役立つものとして、塩蔵品に代わって採用され、その功績によりアペールは多額の賞金を授与されました。

1810年6月にその研究成果をまとめた著書が出版されると、瞬く間に周辺各国に広がり、同時に各国の食糧事情は激動の時代を迎えました。その2ヵ月後の8月には、英国のピーター・デュランドが“ブリキ缶による食品の貯蔵法および蓋をする容器”、いわゆる「缶詰」に関する特許を取得し、この発明品をティン・キャニスター(Tin Canister)と命名しました。Tinは“ブリキ製の容器”、Canisterは“蓋つきの容器”を意味し、今日の「缶」を意味する「Can」という語は、このキャニスター(Canister)の頭3文字をとって省略したものです。「Can」はオランダで「Kan」と呼ばれ、これに由来して明治時代に日本でも「かん」と呼ぶようにし、本来「入れ物」という意味を持つ「缶」という字を当てました。

 日本における缶詰の歴史は1871年(明治4年)、松田雅典がフランス人教師レオン・ジュリーの指導のもと「イワシの油漬け」の試作を皮切りに、日清・日露戦争を機に兵士の食料用に缶詰産業が発展しました。しかし、戦後は在庫過剰と化し、ここで初めて缶詰が市販され、一般庶民も手に入れられるようになり、高価な商品であったにも関わらず大評判となりました。戦争とともに発展した日本の缶詰産業は、その後、輸出産業へと大きく転換し、やがて、缶詰製造技術は「レトルト食品」を生み出しました。缶詰製造で発展した食品保存における“微生物を制御する技術”は、紙パック飲料、ペットボトル飲料、ハムやソーセージなどの加工食品にも応用され、現代の食文化に不可欠な技術となりました。

宮城県水産高校は、明治30年代後半に缶詰や燻製などの保存食の製造を学ぶ“製造科”が開設されました。新制高校となった後も、食品製造科として、その内容は受け継がれましたが、平成12年には“食品科学類型”と改名し、“味”だけではなく“衛生管理(食の安全)”も追求するため、ついに平成16年に高校の実習施設として日本で初めてHACCP(ハサップ:厳しい衛生管理下における安全な食品製造のためのシステム)の認定を受けました(震災の影響で現在は認定解除となっていますが、将来的に再び認定を受けられるよう環境を整えています)。
特に、宮城県水産高校の缶詰といえば“さんま缶”や、みやぎ丸で漁獲されたビンナガを材料とした“まぐろ油漬け(超高級ツナ缶)”が有名で、文化祭や地元のイベント、各地での販売実習において、長蛇の列ができるほどの大人気商品です。これは100年の歴史と伝統の中で、絶えることなく続いてきた研究の成果であると言えます。
時代が進み、今春、宮水では食品科学類型を「フードビジネス類型」へと改編しました。この改編の目玉は、商業的な視点を取り入れ、ブランド化、製造の効率化(製法特許)、商品開発(特許化)に不可欠な知識である“知的財産”を深く学び、製造だけではなく、製造した商品に「どのように付加価値をつけ、どうPRし、売り上げるか」を追求するというところです!
フードビジネス類型で学べば、「あなたもヒット商品の生みの親になれる!」…かもしれません。
(参考:日本製缶協会「製缶技術変遷・金属缶の歴史」、(社)日本缶詰協会「缶詰誕生200年の歩み」)